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  • 『おどろきの刑事司法』はなぜ「絶望」ではなかったのか──元厚労次官・村木厚子が16年ぶりに問う日本の刑事司法

    『おどろきの刑事司法』はなぜ「絶望」ではなかったのか──元厚労次官・村木厚子が16年ぶりに問う日本の刑事司法

    「絶望の刑事司法」というタイトルを、村木厚子は自ら手放した 2026年3月、講談社現代新書から刊行された『おどろきの刑事司法 "犯罪者"の作り方』。著者の村木厚子氏は当初、本書のタイトルを「絶望の刑事司法」にしようとしていたという。 村木氏自身が検察によるえん罪の当事者であることを考えると、その言葉には十分な重みがある。2009年に表面化した郵便不正事件では

    「絶望の刑事司法」というタイトルを、村木厚子は自ら手放した

    『おどろきの刑事司法』はなぜ「絶望」ではなかったのか──元厚労次官・村木厚子が16年ぶりに問う日本の刑事司法 - 「絶望の刑事司法」というタイトルを、村木厚子は自ら手放した
    「絶望の刑事司法」というタイトルを、村木厚子は自ら手放した

    2026年3月、講談社現代新書から刊行された『おどろきの刑事司法 “犯罪者”の作り方』。著者の村木厚子氏は当初、本書のタイトルを「絶望の刑事司法」にしようとしていたという。

    村木氏自身が検察によるえん罪の当事者であることを考えると、その言葉には十分な重みがある。2009年に表面化した郵便不正事件では、大阪地検特捜部によって164日間勾留され、2010年に無罪が確定した。起訴内容はのちに「検察のでっち上げ」と評される。

    しかし村木氏は「絶望」という言葉を自ら退けた。背景には、刑事司法の改革を議論した特別部会での経験がある。3年後の見直し規定があったため「前に進める可能性がある」と考えたが、法務省はその後も問題をやり過ごそうとしているだけだと感じるようになった。それでもなお、絶望という言葉で本を閉じることを、村木氏は選んだのである。

    この本が他の「刑事司法批判本」と違う点

    日本の刑事司法を扱った書籍は少なくない。しかし、本書には際立った特徴が三つある。

    ① 著者自身が「制度の内部にいた人間」である

    村木氏は2013年から2015年まで厚生労働事務次官を務めた国家公務員である。制度の運用を知る立場にいた人間が、えん罪の当事者となり、改革を議論する委員も経験した。批判者と被批判者が同一人物という稀有な立場から書かれている。

    ② 問題が「江戸時代」から続いていると指摘する

    本書では吉田松陰が「調書裁判」の犠牲になったとされる事例が引かれている。何が何でも自白を取るという手法は江戸時代から続く「伝統」であり、奉行たちの間でも弁明が理解されなかったという。刑事司法の問題を近代化の課題としてではなく、日本社会の構造的な問題として捉えている点が特徴的である。

    ③ 検察だけでなく裁判所も批判の対象にしている

    村木氏は「検察と裁判所は『同罪』」と語っている。裁判官も間違いを絶対に認めないという構造があるとし、検察と裁判所を一体のシステムとして論じている。

    本書が取り上げる具体的な事件

    郵便不正事件だけではない。本書では大川原化工機事件にも触れられている。相嶋さんは保釈されて適切な治療を受けていれば、命を失わずに済んだはずだとの指摘がされており、えん罪が「不必要な死」に直結しうる現実を突きつけている。

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    つまり本書は、村木氏個人の事件回顧録ではない。複数の事件を並置することで、刑事司法の問題が特定個人の被害にとどまらないことを示そうとしている。

    「おどろき」という言葉に込められた意図

    「絶望」ではなく「おどろき」を選んだ理由について、村木氏は「これで変わってくれるんじゃないか」という期待を捨てきれなかった過去を振り返っている。特別部会の時点ではまだ希望があった。しかし法務省の動きを見るうちに、その期待がしぼんでいった。

    それでもなお「おどろき」という言葉を選んだのは、読者に「知って驚く」体験をしてほしいという意図の表れだろう。知らなかったという「おどろき」こそが、変化の起点になるという信念がある。

    誰が読むべきなのか

    本書が特に響くのは、以下のような読者だろう。

    • 刑事司法の問題を抽象的にしか知らなかった人
    • 冤罪報道を「他人事」と感じている人
    • 制度運用を知る立場にいる官僚や法律関係者
    • 過去に冤罪事件で声を上げた経験のある人

    逆に、純粋な法技術書や実務マニュアルを求めている読者には向かない。村木氏の体験と思想を軸にした「告発と提案の書」である。

    本書が示す「変えるべきもの」

    資料から読み取れる本書の論点は大きく三つに整理できる。

    1. 自白偏重の構造

    江戸時代からの「伝統」として、何が何でも自白を取る手法が批判されている。これは取調べの可視化だけでは解決しない、捜査文化そのものの問題である。

    2. 検察と裁判所の相互依存

    検察のでっち上げに対して裁判所が機能しなかった事例が指摘されている。両者を別個に改革するだけでは不十分という立場である。

    3. 改革議論の形骸化

    特別部会の提言が「やり過ごされている」という現状認識が示されている。制度改正だけでなく、運用の透明性をどう担保するかが問われている。

    16年という時間は何を意味するか

    郵便不正事件の無罪確定は2010年、本書刊行は2026年。村木氏は16年越しの執筆となった。この時間には意味がある。

    えん罪直後ではなく、改革が頓挫した「今」を選んだのは、個人の被害を訴えるだけでは足りないという判断だろう。特別部会に参加し、提言が活かされない過程を見てきたからこそ書ける内容がある。

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    読後に考えるべき問い

    本書を読了した後、読者には少なくとも次の問いが残る。

    • 自分が検察の捜査対象になったとき、何ができるのか
    • えん罪報道に触れたとき、どこまで構造の問題として考えられるか
    • 「やり過ごされている」改革を、どうすれば前に動かせるのか

    村木氏は答えを一つに絞っていない。むしろ「おどろき」を起点に、読者自身が考えることを求めている。

    「絶望しない」という選択の重さ

    164日間の勾留を経験し、検察のでっち上げによって人生を書き換えられかけた人間が、なお「絶望」という言葉を手放して本を書く。その行為自体が、本書のもっとも強いメッセージである。

    『おどろきの刑事司法』は、刑事司法の問題を「他人事」にしないための一冊である。制度の内部を知り、当事者となり、改革の議論にも参加した人物が、16年をかけて書いた言葉には、評論家や研究者にはない重みがある。

    「知らなかった」で終わらせないために、まずは手に取ってみる価値がある。

    参考情報

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