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  • 日本の音楽シーンはどこへ向かっているのか——バンドマンが語る「ライブの現在地」

    日本の音楽シーンはどこへ向かっているのか——バンドマンが語る「ライブの現在地」

    「最前がいるのに、みんな動かない」——あるバンドマンの違和感 日本の音楽シーンは、依然として世界的に見てもユニークな存在感を持っている。J-POPのグローバル展開、K-POPやヒップホップの影響力の拡大、アイドル文化の継続的な隆盛。一方で、ロックやバンドと呼ばれる領域では、ライブハウスのあり方やオーディエンスの楽しみ方そのものが変わりつつあるのではないかとい

    「最前がいるのに、みんな動かない」——あるバンドマンの違和感

    日本の音楽シーンはどこへ向かっているのか——バンドマンが語る「ライブの現在地」 - 「最前がいるのに、みんな動かない」——あるバンドマンの違和感
    「最前がいるのに、みんな動かない」——あるバンドマンの違和感

    日本の音楽シーンは、依然として世界的に見てもユニークな存在感を持っている。J-POPのグローバル展開、K-POPやヒップホップの影響力の拡大、アイドル文化の継続的な隆盛。一方で、ロックやバンドと呼ばれる領域では、ライブハウスのあり方やオーディエンスの楽しみ方そのものが変わりつつあるのではないかという指摘もある。

    実際にライブ活動を行うミュージシャンたちは、今のシーンをどう見ているのだろうか。ドラマーKentaro(Suspended 4th)とベーシストTsuya-niiによる対談(Scene Report vol.1 前編)では、バンドシーンの「現在地」について率直な意見が交わされている。

    「応援しに来る人」と「音楽を楽しみに来る人」

    日本の音楽シーンはどこへ向かっているのか——バンドマンが語る「ライブの現在地」 - 「応援しに来る人」と「音楽を楽しみに来る人」
    「応援しに来る人」と「音楽を楽しみに来る人」

    Kentaroは、ライブに足を運ぶオーディエンスを大きく二種類に分けて語っている。一つは「応援しに来ている人」、もう一つは「音楽そのものを楽しみに来ている人」。

    前者は、推しのバンドやメンバーがいれば満足するタイプ。曲が流れていても、盛り上がるべき場面でなくても、静かに見守っている。後者は、クラブで自然に踊っている人のように、音楽のグルーヴそのものを身体で受け取るタイプだ。

    この二層構造は、バンドシーンに限った話ではない。K-POPやアイドルシーンでは、推し活としての参加スタイルが一般化している。ブログ「旅とドラマと音楽と」の筆者「さり」のように、KCON 2023 THAILANDに現地参加し、毎月のように推しの現場に通うファンもいれば、一方で音楽を「体験」として受け取る聴き手もいる。

    問題は、この二つが同じライブ空間で混在しているときに起きる。

    「発表会」になるライブという現象

    Kentaroは、バンドのライブで「最前がいるのに、みんな動きません」状態になると、それは「発表会みたいな感じ」になると指摘する。演奏する側とされる側の間に、明確な境界線が引かれているような空気。バンドマンが煽らなければ反応が生まれず、結果としてミュージシャンが一方的に「見せる」側になってしまう構造。

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    これは、バンド側だけの問題でもオーディエンス側だけの問題でもなく、「50-50」だとKentaroは言う。しかし、彼が根本にあるのではないかと疑っているのは、「ミュージシャン自体が音楽で遊んでいない」という点だ。演奏者が心から楽しんでいないと、フロアもそれに応じて静かになる。これは、音楽体験の双方向性が薄れているという観察として読める。

    クラブシーンとの対比が示すもの

    対談で繰り返し言及されるのは、クラブのあり方との対比だ。クラブでは、DJが煽らなくても、フロアには勝手に踊っている人がいる。音楽が鳴っていれば、身体が動く。それが「音楽を楽しみに来ている人」の典型的な姿だとKentaroは言う。

    翻って、日本のバンドライブの多くは、クラブほど身体的な開放を前提としていない。スタンディングでも、客はモッシュやダイブといった明確な「許可された動き」を待つ傾向がある。あるいは、推しを撮影する、ペンライトを振るといった行為に意識が向く。

    この違いを「どちらが正しい」と断じることはできない。ただし、バンドという形態が本来持っていたはずの「生演奏を身体で受け取る」という体験が、希薄になりつつある可能性を示唆している。

    アイドルシーンが示す「参加型」のモデル

    ここで、対照的に見えてくるのがアイドルシーンの力学だ。KCONのような大型イベントでは、コール&レスポンス、ペンライトの振り付け、掛け声——ファンが「参加」するための仕組みが高度に設計されている。

    「さり」のように、KCON 2023 THAILANDに現地で参加し、その体験をメディアに寄稿するようなファンも存在する。つまり、アイドルシーンは「応援しに来る人」と「音楽を楽しみに来る人」を明確に分離せず、両方を巻き込むフォーマットを作り上げてきた。

    この「巻き込み力」は、バンドシーンにはない強みかもしれない。ただし、それは音楽体験の自由度と引き換えに獲得されたものでもある。クラブのように「何をしても自由」な空間と、アイドル現場のように「何をすべきか明示されている」空間。その中間にあるのが、バンドライブの現在地なのかもしれない。

    では、バンドシーンは本当に衰退しているのか

    KentaroとTsuya-niiの対談は、悲観論だけで終わらない。彼らは「向こうの問題も、こっちの問題もどっちもある」とした上で、ミュージシャン自身が音楽で遊ぶことの重要性を訴える。

    実際、ライブハウスの数は依然として多く、地方都市でもバンドマンが活動する場は存在する。フェス文化も根強い。ただし、そこで生まれる体験の質が変わりつつあることは、演奏者自身が認めている。

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    重要なのは、「衰退」か「進化」かという二項対立ではない。オーディエンスの楽しみ方が多様化し、かつては自明だった「バンドのライブはこうあるべき」という前提が揺らいでいる——それが、現在のバンドシーンの実相だろう。

    シーンの「現在地」をどう捉えるか

    日本の音楽シーンを語る時、J-POPのチャート動向やアイドルの動員数ばかりが注目されがちだ。しかし、ライブという「体験」のレベルで何が起きているかを知るには、現場で演奏しているミュージシャンの声に耳を傾ける必要がある。

    Kentaroの指摘は、音楽体験における「双方向性」の危機を示している。演奏者が楽しんでいないと客も動かない、客が動かないと演奏者はさらに孤立する——その悪循環をどう断ち切るか。これは、バンドシーンだけでなく、音楽体験全般に共通する問いだ。

    読者自身がライブに足を運ぶとき、「応援しに行く」のか「音楽を楽しむ」のか——その自覚があるかどうかで、同じステージの見え方は変わるはずだ。シーンの現在地は、客席の一人ひとりによっても作られている。

    参考情報

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